この寺は、鐘楼が門になっていて山門の直線上にあるというところが興味深かったのだけど、『江戸名所図会』が描かれたときには、まだなかったのだ。
もひとつ見入ってしまったのが2つの時代の石塔。
古い方は江戸期のものだと思うが、石工の仕事がすばらしい。
霊泉から流れている川は清水川という名だったようなので、このあたりには清水氏が多かったのだと思える。
狛江といえば、1974年の多摩川の氾濫で大きな被害を被ったことを覚えているけど、あれは1200年湧き出ていた霊泉を枯らせてしまった数年後のことだったのだから、昔だったら龍神様の祟りということになったのだろう。